浅間温泉とその歴史

四季折々の素晴らしい大自然に囲まれ、育まれてきた浅間温泉は、日本書紀に西暦698年の飛鳥時代、浅間の湯と思われる一節に登場しています。浅間には天武天皇に仕えていた有力な氏族の古墳が数多く見つかっていることからも、この頃から都にも知られていたことがうかがわれます。
浅間温泉は、長野県のほぼ中央に位置し、JR松本駅からバスで20分、長野自動車道松本I.C.から車で20分、松本空港からタクシーで40分と交通の便もよく、松本市内をはじめ信州全域への観光拠点として、また、各種コンベンション・スポーツ施設も充実し、会議や研修旅行にも絶好の温泉地です。
大自然に囲まれ、また、歴史と文化に培われ、国宝松本城の城下町「松本の奥座敷」として庶民に親しまれてきた、好ロケーションの温泉...それが浅間温泉です。
名前の由来
一般的に浅間温泉は、平安時代の天慶2年(939)土地の豪族犬飼半左衛門によって発見され「犬飼の湯」と呼ばれた...とされており、また、中世の「吾妻 鑑」文治2年(1186)の頁に浅間社の名が記載されていますので、たぶん1000年頃に浅間温泉と呼ばれ初めたのではないかと思われます。
御殿湯
江戸時代に入ると、浅間温泉には初代松本藩主石川数正により「御殿湯」が置かれ、その初代湯守には、石川数正の三男康次の子である石川昌光が就任しました。
同時に、城主や臣下の武士たちの別邸が建ち並び、この頃より浅間温泉は「松本の奥座敷」と呼ばれることになります。現在、この御殿湯の詰所跡が枇杷の湯として残っています。
アララギ派発祥の地近年、浅間温泉は多くの文人墨客に愛されるようになり、特に正岡子規や伊東左千夫からなるアララギ派発祥の地として知られ、与謝野晶子、竹久夢二ら多くの文人墨客が訪れて、この地で優れた作品を残しています。
今でも、桜ヶ丘公園の伊東左千夫の詩碑や、神宮寺の与謝野晶子の歌碑等々に、当時の面影を見出す事ができることでしょう。





