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浅間温泉とその歴史

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四季折々の素晴らしい大自然に囲まれ、育まれてきた浅間温泉は、日本書紀に西暦698年の飛鳥時代、浅間の湯と思われる一節に登場しています。浅間には天武天皇に仕えていた有力な氏族の古墳が数多く見つかっていることからも、この頃から都にも知られていたことがうかがわれます。
 浅間温泉は、長野県のほぼ中央に位置し、JR松本駅からバスで20分、長野自動車道松本I.C.から車で20分、松本空港からタクシーで40分と交通の便もよく、松本市内をはじめ信州全域への観光拠点として、また、各種コンベンション・スポーツ施設も充実し、会議や研修旅行にも絶好の温泉地です。
 大自然に囲まれ、また、歴史と文化に培われ、国宝松本城の城下町「松本の奥座敷」として庶民に親しまれてきた、好ロケーションの温泉...それが浅間温泉です。

名前の由来
浅間温泉が歴史の上にあらわれたのは古く、日本書紀によれば天武天皇が白鳳14年(684年)「信濃に遣わして行官を造らしむ。蓋し束間の温湯に幸せんと擬すか」と記されており、信濃の国の国府が平安時代の初頃に惣社付近(浅間温泉から徒歩圏内)にあったことからあったことなどからして、この束間の温湯は浅間温泉一帯を指していたことは、考古学者によってあきらかにされています。万葉集などに詠まれている浅葉の里、麻葉の湯は束間の湯とともに浅間温泉の古称だったと考えられます。鎌倉時代初期には「浅間社」という名称が登場していますが、なぜその名称になったかは文献が残っていません。また、言語的には南方民族では火や煙のことを「アスム」と呼び、山が噴煙を上げるのと同じく、湯煙が立ちこめていたこの地方を「アッサ・アソ・アサマ」という風になまったのではないかとも言われています。アイヌ語とも関わっているという説もあり、確かなことはわかりませんが、縄文時代の遺跡がこの地域から発掘されていることから、浅間の歴史もとても古いと言うことが考えられます。

御殿湯
 江戸時代に入ると、浅間温泉には初代松本藩主石川数正により「御殿湯」が置かれ、その初代湯守には、石川数正の三男康次の子である石川昌光が就任しました。
 同時に、城主や臣下の武士たちの別邸が建ち並び、この頃より浅間温泉は「松本の奥座敷」と呼ばれることになります。現在、この御殿湯の詰所跡が枇杷の湯として残っています。

IMGP1633.jpgアララギ派発祥の地
 近年、浅間温泉は多くの文人墨客に愛されるようになり、特に正岡子規や伊東左千夫からなるアララギ派発祥の地として知られ、与謝野晶子、竹久夢二ら多くの文人墨客が訪れて、この地で優れた作品を残しています。
 今でも、桜ヶ丘公園の伊東左千夫の詩碑や、神宮寺の与謝野晶子の歌碑等々に、当時の面影を見出す事ができることでしょう。